「地球が回っている」ではダメなのは、強いて言えばこういう理由だ 〜テストは対話〜

今、こんなニュースが話題になっています。

(参考URL)

とある小学校のテストで、こんな問題が出ました。
「時間が経つと、影の向きが変わるのはなぜですか」
そして、ある児童は「地球が回っているから」と答えたが、これに対して「バツ」がつけられた。
正しい答えとして、先生の筆跡で「太陽が動いているから」と書かれており、そこには「学習したことを使って答えましょう」。

保護者の方は驚いてその答案をSNSにアップ。「先生がおかしい」という意見が広がっています。

確かに、地動説に立ってみれば、「太陽が動いている」ということの方が間違っていて、児童の書いた「地球が回っているから」の方が正しいことになります。だから、僕が教師だったらやはり「地球が回っているから」と答えたこの子の回答には、マルをつけたい気持ちです。

 

それでも、今回の先生からのフィードバック、「学習したことを使って答えましょう」は、非常に重要なメッセージだと思わなければなりません。

なぜか。

それは、「テストは対話」だからです。

自分が中学生だった頃も似た経験をしました。
「直線lと点Pがある。直線lに対して点Pと対称な点Qを作図しなさい」
この問題について、僕は先生から教わった方法を踏襲せず、自分なりの作図方法で回答をしたら、返ってきたのは「バツ」。

僕は職員室に行き、自分の作図プロセスが間違いではないことを説明したら、「なるほどそういうやり方もあるのか」とマルに直してもらえました。一旦安堵したのですが、その時先生に「テストは先生とお前との会話だから、前に教えたことを書いてくれた方が嬉しいんだよ」と言われて、「ああ、そういうことか」と妙に納得したことを覚えています。

学校のテストは「知識を問う」ものではなく、「学んだことを確認する手段」という側面が強いです。ましてや小学生の間は、学校の成績が進学に影響する可能性はほとんどないわけで、このたった一つの設問のマルバツで人生が左右されるわけでもない。

宇宙全体でとらえたら、動いているのは地球の方です。でも、地球から見たら、太陽の方が動いて見える。それと同様に、「生徒の視点」「先生の視点」それぞれにとって、テストというものは違う見え方をしています。
すなわち、テストは児童にとっては自分の知識を披瀝する機会である一方、先生からすれば、先生が教えた内容を咀嚼してくれているかを知りたい場面です。

この児童は、学校で習った内容よりも深いレベルで天体の動きを理解できているくらいですから、きっととても優秀で、将来人の上に立つ人になるのだろうと思います。だからこそ、「正しいか、正しくないか」というたった一つのものさしではなく、「相手がその答えを受け止めた時、どう感じるか」ということを考えられる人に成長してほしい、と、老婆心ながらながら思うのであります。

・・・とはいえ、やはり先生にも(もっというと教育の仕組みにも)落ち度はあるということは強調したい。

中学時代の僕の別解に対する先生の対応を見ればわかることだが、
・正解か否か
・その答案を見て先生がどう思ったか
この2つは別個のものであるべきで、後者でマルバツが変わるようではいけないのです。

見ようによっては、僕の言っているアドバイスは、「それでも地球は回っている」というガリレオに対して、「いやみんな怒ってるし、ここは自説を引っ込めておこうぜ」と言っているようなもの。

でもガリレオが正しく、宗教裁判が間違っていたことは今では常識とされています。

話を受け止める人、つまり今回のケースでは先生が、児童の思うところをしっかりと咀嚼してあげるようでなければ、ガリレオのような学者や、革新的なビジネスを生み出す経営者も登場しなくなってしまうと思うのです。

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